Sports fishing information service japan 1976.3. 創立 九州磯釣連盟 北九州支部 海洋磯釣倶楽部/広報 musick 哀しみの (ポール・モーリア) 12
吉田印刷KKの社員旅行は京都・大阪に行きました1976.私がいつもカメラマンでした。家族で七五三は若松恵比須神社、裕美ちゃん3才
ワープロからパソコン、インターネットにつづく私の遊び心 1 記 大和三郎丸 (上瀧勇哲) |
1977は若松時代 上瀧家の初孫になった裕美ちゃん3才の七五三お参り |
北九州市若松恵比須神社 上瀧家の初孫になった裕美ちゃん3才の七五三お参り |
「機関誌 海洋だより」に記載した稿を再編集して紹介しています |
ワープロからパソコン、インターネットへつづく、私の遊び心 (1)
大和三郎丸(上瀧勇哲)
私が10代から30代にかけて勤めていた会社のお話しです。
「早いもので、もう正月が来て、新年会を迎える事が出来ました。皆さん、明けましておめでとうございます。」
と、ご挨拶するのは二代目、吉田印刷株式会社、吉田正人社長です。毎年の年頭挨拶として社員150人を前にして言った言葉ですが、この言葉はいつものパターンとして、私に焼き付いている!!社長の想い出の一つです。
一番印象に残っているのは、若松丸柏デパート四階レストランを借り切り、社員の家族同伴で、お食事会をしながら新年を祝うもので、子供にはランドセルや文具、遊具を配り家族一人一人の子供達の年齢から学年まで気にしながらプレゼントをしてくれることが数年続きました。そして麻生太郎国会議員や、北九州市長の谷 伍平さん、市議会議員の城戸武治さんなど、行政のトップが必ずこの新年会で挨拶し、一緒にコミュニケーションすることが普通にありました。
そのぐらい吉田正人社長は社員に気配りし、政治の世界でも、あるいは北九州商工会議所や若松ロータリー・ライオンズクラブ会長など、北九州百万都市、中小企業トップの会社経営者としては有名な方でした。
その会社を私は21年間勤め、退職しました。理由は印刷業のトップダウンであり、次を狙った出版業界経営に入る意気込みがあったからです。しかし資本主義社会の中で資金不足は補えません。八ヶ月余りで挫折し、やはり印刷業界に入り今に続いています。
皆さんが今読んでいる文字とか文書(章)を、なにげなく読むのですが、その分語を考えたり、整えたり、大量に印刷することはすごーく大変な事です。昔は活字(鉛文字)を一つ一つ拾い集めて組む作業(編集)、それ以前の昔は木版とか版画、そして一枚一枚の手書きでした。私が吉田印刷所に入社する前は石版でカラー印刷をしていたのですよ!! そのような文字を扱う印刷所に入社して40数年、18才から、この仕事を続けて今だ、この事をやっているのですから凄いと思うのです。それよりも、こうして文字が書け、印刷でき、皆さんに読んでもらう事が楽しいのでしょうかね?
24才で洋子ちゃんと結婚し、30才になるころ二人目の真一が生まれたころです。北九州市小倉北区魚町にユニードという電機メーカー&スーパーが新しくオープンされました。そのお店に当時もっともほしかった出始めのワープロ機は10万円もする高級品で、賞与を二回分貯めてやっと買える代物。それを洋子ちゃんに無理にお願いして買いました。
その当時、北九州市内でも5番目ぐらいの大きな吉田印刷所でさえワープロ機などなくて、まだ写植機で文字を一つずつ打つ作業でしたから、私はすごーく時代を先走った人間?でした。
早速、洋子ちゃんと二人で試行錯誤しながらワープロの文字を打ちます。タイプライターと同じ、黒リボンで印字する仕組みです。その打った文字を何に使うかと思えば、会社経営の工場作業指示書とか、各職場の作業改善とか、コミュニケーションに使う為の書類に多く使いました。そのことで営業部長や柚木専務からホメ言葉はたくさん貰いましたが、けっこう生意気な若者?でもありました。でも、やっぱりイイ仕事をして、会社に貢献して、給料いくらの会社です。そんな事をしながら私の30代は仕事と趣味の魚釣りに没頭し、生甲斐を求めていました。
数年後、三代目の若社長が大掛かりなワープロ機を購入して発進させましたが、この時は文字がガタガタで商売になりません。しかし、キーボードで簡単に文字が打て、ひらがなから変換して漢字、英文、書体、罫など進化してゆくと、一気にワープロが大衆化し、10年後にはパソコンに変わることになりました。ちょうどインベーダーゲームが流行り出した時代です。このころから「機関誌 海洋だより」発行を頻繁におこなうようになり、ワープロ文字と釣り新聞切り抜きコピー等を再編集して、年6〜7度のベースで会員さんや釣り具メーカーさんなど発行・郵送していました。
40代に入ると、すでにワープロは三台目、次をパソコンにするか、しないか、大きな選択なんですが、20万円もしますから、やっぱし洋子ちゃんと相談して購入しました。ウインドウズ95を搭載したパソコン,ワードソフトは、ワープロなど比較にならないほどアイディアがたくさん詰まっています。でも、まだ文字のガタガタがあるので気になります。そしてウインドウズ98から2000となり、ドンドン進化してゆく過程の中で、私達夫婦はパソコン操作を試行錯誤していました。
九州磯釣連盟 北九州支部の広報部として機関誌「北九州支部だより」の発行は2千部とか、息子の「小倉南少年サッカークラブ」新聞発行から、「全国少年サッカー大会」記念誌の作成 までしていましたが、ほとんどがボランティア作業です。又、町内会の新聞発行も行いました。こちらは北九州市小倉南区役所、公園課の係長さんが随分応援してもらったりで、私生活の中にワープロとかパソコンは無くてはならないものになっていた時代です。
お魚釣りの原稿も、そのワープロ、パソコンで、もう30年以上続けていますが、ほとんどが洋子ちゃんが文字打ち、その後私が校正、修正、文を整えて印刷する手順で今に至ります。
この稿もそのようなスタイルで、我が家の輪転機で印刷しています。ちなみに紙はナフコでB4、500枚、特売価格で385円。小倉北区の文具店では294円で買えるのですから、印刷所が衰退するのはあたり前のようになりました。
つづく
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