私が手作りしている釣り仲間のコミュニケーション、釣り情報新聞、機関誌「海洋だより」は、昭和53年から始め、今は機関誌「サーフメイズ JAPAN」と続き今年、平成27年3月で№300号となった。B4、5枚を二つ折りして20Pで、ポイント苅田店
℡0930―25―0941、トップ行橋店 ℡0930―22―6217、ダイワ釣具店などにあります。無料。 |
ワープロからパソコン、インターネットにつづく私の遊び心 №5 記 大和三郎丸 (上瀧勇哲) |
「機関誌 海洋だより」に記載した稿を再編集して紹介しています |
ワープロからパソコン、インターネットに続く私の遊び心 №5
サーフメイズ JAPAN 事務局長
通いつけの釣具店で油を売っていると、小中学生の子がルアー雑貨を購入していることが多くあります。その中でも、お母さんと一緒に来る子はファミリーフィッシング用の釣り具タックル.セットを買います。多分、家族で海釣りを楽しむのでしょうかね。?
そして、お店にとって一番良い買い物をしてくれるのが、おじいちゃんと一緒に来る小学生です。孫にルアー竿とかスピニングリールをセットにした、ちょっと良い物をプレゼントしているようです。その孫は友達と近くの川や池でバス釣りにハマッテいるようで、ソフトルアーからジグ、エコギアーなどを、おねだりして2~3枚の大枚がます?。プレゼントする、おじいちゃんはチンプンカンプンで、お店のスタッフが、あれこれ相談に応じるようです。一方で釣り好きの、おじいちゃんが来ると、さすが海釣り師、こちらはスズキやメバリングをイメージした高級タックル.セットが多く、大枚を出したおじいちゃんは、そのタックルを使ったことがない釣り具なのです。
友達を連れたヤングは主にルアー.ジグ.ワーム.エコギアーから、最近流行のメバリング、アジング.グッズを求め、20代ごろの若者の多くは、エギングロッドと合わせたスピニングリールをセットにしたエギ.ジグ.ルアーなどを購入し、対応するスタッフも若者で、新しい釣りスタイルグッズのPRが実に詳しく、私の知らないグッズが良く売れていますね。?
流行のお店はジュニアからヤング、若者層を中心とした釣り人が多く、生エサを使わない釣りスタイル、グッズが人気売れ筋商品となっており、40代からシニア層が求める生エサ、タックルは高級品が主流で、新しいものにこだわる釣り人が少なく販売力が弱い、加えて、それらのグッズ、タックル、小物品などを供給する釣り具メーカーが多く、メーカーに拘る釣り人が増えているのが現実的で、メーカーにイメージングされたグッズが販売力を伸ばしているようです。
最近の釣具店を観察していると、釣り人が求めるファッションは固定され、釣りマンの購買スタイルが青年層から若者が求めるものへ、シフトされているようにも見え、その陰で私達が追い続けた「生エサ釣り文化」をどこまで維持し、次世代の人々に伝えて行けるか!! 今、釣界そのものが問われています。
昭和50年代、釣り新聞、雑誌などの原稿書きは全て手書き。400字の原稿用紙に書き、白紙の紙に仕掛け図とか釣り場の地図を書く。これにフイルムカメラで撮ったプリント写真を数枚加えて原稿を整え、投稿するのが普通のペンライターの人々でした。私もその一人ですが、その原稿を新聞、雑誌社が再編集し、文章を修正し、地図や仕掛け図を書きかえてページのデザインまで整え、印刷所に送稿し、活字文字とか写真、イラスト、挿絵などを入れ混ぜて全体のバランスを整え、再稿、三稿、四稿まで修正されて印刷OKをもらい、始めて印刷機械がまわり、本になるまでの工程を印刷所が行います。大量印刷された新聞、雑誌が本屋さん、あるいは釣具店に並べられて私達が購入するのが普通ですが、そのピッチが時代を追うごとに早くなってゆくのは、印刷文化の進化に加速されたデジタル文明がもたらしたものです。
毎年開催されている印刷機材展に参加
私達が手書き文字で人々に伝えていた昭和の時代、人が作った何十万種という活字文字を組み合わせ書本、書籍が出来ていたのが昭和の時代でした。その時代から変革されたのがワープロ文字でした。まだ昭和、後期の時代でしたからからワープロそのものを受け入れる人々は少なかったようです。しかしながらカーボン.インクリボンで熱転写させデザインできるロゴからイラスト、絵画が出来るようになります。更にインク.リボンの色を変えるだけで、カラー色が選べることができ、急速にワープロが進化してきました。個人で年賀ハガキにワープロ4色リボンで印刷出来るようになります。もちろん印刷所でフイルム製版して、カラー印刷すれば簡単に出来ることでしょうが、数十枚、数百枚ではコストがかかり一般的ではありませんから、若い方がハイテクな趣味としてワープロ機が普及されはじめました。
福岡印刷機材展に洋子ちゃんも行きました。光文堂ブースで
私も、そのワープロ文字を使い「機関誌 海洋だより」の新聞発行を10数年続けました。又、釣りの原稿書きは一度、下書きしてA4ワープロ文章、原稿にして釣り新聞、釣り雑誌社に送ります。これだと雑誌社も編集しやすく、印刷所も分かりづらい手書き文字よりズーッと効率的で編集作業が早くできます。しかもワープロ文字だと読み込めるスキャナーが出始めました。そのような昭和の時代から平成に入ると一気にパソコンが出始め、デジタル文明が急速に高まってきました。
九州印刷文化フォーラム2013に出席して、先輩の中西さん家に訪問して、手ずくリ野菜たくさん頂きました。
パソコン文字はデジタルによってできますが、文字を作るのはコンピューターが作ります。一つ一つの点を重ね合せて文字を作るのですが、最初はツブツブが荒く、滑らかな曲線が出来ていません、しかし数年後にはルビー文字、6ポ、4ポという小さな文字がパソコンで打て、それを印刷するプリンターという機器が急速に普及し始めました。
そして皆さんがテレビの映像を見て時々、電波の乱れで映像が途切れトギレになるとき、カラー映像に四角いマス状の帯を見ることがありますね。その小さな四角いマスにデジタル、数字で決められた色素があるのです。色素は数万種の色があり、その色素、数字の組み合わせでカラー映像が出来ているのです。デジタル文明はテレビの画質を大幅に改善しました。人間が手作りしたアナログの文明は昭和で終わり、今は宇宙から送られてくる衛星デジタル信号によって、私達のライフスタイルが築かれています。
この数年、急速に進化した携帯電話、夢のような電話なのですが、昔はラジコンとかトランシーバーのような電波で音と音を直接繋げてコミュニケーションをとっていました。
昨年亡くなった菅原文太さんの作品で「トラック野郎・一番星」で愛川欽也さんとのコンビで面白かった映画館通いをしましたが、菅原文太さんが乗る長距離トラックには、ほとんど無線機が搭載され、会社と動いているトラックとの直接通話ができました。もちろん周波数を合わせるとトラック同士のコミュニケーションができて、すごく便利が良かった昔の携帯電話です。もちろんタクシーやパトカーは今でも、これが主流と思いますが、すごく便利が良かったのです。
私達釣り人も、トランシーバーという小型の無線機を7~8人が持っていて、半径1㎞ぐらいなら、なんとか互いの釣り情報を交換し合っていたこともありました。まだ20代の頃でしたから40年前のことです。又、月刊 釣ファン社の屋上に大きな自家製の無線アンテナを設置し、釣ファンの雑誌を九州一園に配布していた社員の車に無線機を取り付け、あるいは釣り情報の収集や、渡船基地とを結び、河村社長お気に入りの無線室がありましたね。
そのぐらい、いつでも、どこでも、簡単にコミュニケーションできる通話が欲しかった時代です。今現在、小学生の子供がスマートフォンで家族、お友達と電話し、簡単に写真メールが出来るなんて想像もしていませんでした。これから先、私達の情報コミュニケーションが書籍、新聞をベースにして、インターネット.デジタル社会がどう変わるのか、見届けたいと想いますね。
つづく
この稿は私が配信するホームページ「ワープロからパソコン、インターネットにつづく私の遊び心」連載中です。
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2015年お正月から |
2015.2.長崎県西海市の釣りは3拍4日 |
西海パールラインの二人
西海パールライン公園から
西海パールライン大橋下の舗道
西海パールライン舗道中央広場
すぐ下が針尾瀬戸が見える
その舗道、足下がガラスで怖い
シニア夫婦は釣りを兼ねての観光旅行を、毎回楽しんでいます。
西海パールラインから西海橋
西海パールラインから続くトイレは1億円のトイレとして有名です
1億円のトイレは豪華
トイレの鏡、インテリアは豪華ホテル仕様です
1億円トイレの入り口
中はホテルの便器が
休息ベンチもあり、シャンデリアからステンドガラスウィンドゥも
こんなトイレがだれでも自由に利用できるのです。西海パールライン遊歩道散策と合わせて遊んで下さい