Sports fishing information service japan 1976.3.創立 海洋磯釣倶楽部 musick 真珠とり (ポール・モーリア) №19
北九州市小倉北区小文字山公園から関門海峡、遠景は下関市から六連島、響灘。天気が良いときは蓋井島が見える景観。
我が家のガーデニング広場は手ずくり♪ 3月~4月の花です? |
椿
桃の花
紹介した我が家に咲く花は3月~4月の花です。5からはバラ等
ワープロからパソコン、インターネットにつづく私の遊び心 2016.5. №8 九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲(大和三郎丸) |
暖かい、過ごしやすい季節を迎えましたこの頃ですが、我が家の小さな、小さな、ガーデニング広場の中央にパンジーの花壇があります。
昨年11月に植えたものが、まだ咲き続け7色ほど鮮やかに咲いていますね。
その中央上にロマンチックな噴水像があり、周りに白とピンクのイチゴの花が咲き、実をつけています。
全て手作りした広場は洋子ちゃんお気に入りで、所中、彼女が広場の雑草取り、年中さまざまな、お花さんが咲き乱れている庭が、我が家の自慢作です。
そして行橋市に引越して15年になりましたね。中古家も鉄筋のクボタハウスなので、リフォームを積み重ね、熊本地震でも大丈夫でした。
洋子ちゃんの実家がある熊本県宇土市は、役場が全壊となり大変な状況ですが、みんな元気で良かった。そんな九州各県の釣り仲間から、たくさん情報が発信され、今、ボランティアとか、募金とか、物資などの応援を行橋市から「絆・愛」を届けています。
被災された皆様、ガバッて下さいね。
さて4月23日から30日の8日間、長崎県対馬市へ釣り旅行してきました。
洋子ちゃんと毎年、釣り旅行するようになって、もう20年になります。
最初は結婚記念日とかで行っていたのですが、今では年4~5度、一週間釣り旅行が定番になりました。
ターゲットはシロキス1匹の大物、30㎝オーバーを釣ることが目的ですが、その大物を釣る為、釣り場めぐりをマイカーで、とにかく釣り歩きします。
夫婦でドライブしながら、シロキス釣りはソフトのようですが、大きい魚が釣りたいバカりに結構ハードです。
そのような釣り旅行をデジカメ写真とか動画撮り、そして現地で触れ合える、たくさんの人々とのコミュニケーションを楽しみながら、遊ぶ!! そして観光とかショッピングもしますね。
詳しくはホームページ「上瀧勇哲のホームスタジオ」でご覧下さい。
そのような釣り旅行した写真をパソコンに入力し、ホームページ作りとか、釣り新聞、取材のプリントアップなどで利用します。
私達が日頃から情報発信するスマートフォンのメール文章も大切ですが、写真の方が、より分かりやすい、インパクトがありますね。
私は文章と写真をプラスして原稿書きします。そしてデジカメで撮れる動画も凄いですよね。若者の多くがスマートフォンで、いつでも何処でも瞬間的な動画を撮り、それをその場でメール発信し、全世界に見せることができるインターネット文化は、もう常識になりました。テーマにしている「ワープロからパソコン文化」は、もう時代錯誤で必要なくなりつつあります。
携帯電話、スマートフォンで何でも情報発信でき、子供達がその時代をリードしていることで、大人の仕事がなくなってしまうような雰囲気さえ、なりつつあります。
1980年代から始まった家庭用ワープロ機器は一台10万円をオーバーする高価なものでした。私はこの時代の先駆けでした。しかし1990年代に入るとパソコンが普及しはじめ、プリンターと合わせ20万もするのですが、これをクリアし、パソコン文化に食いつきました。
2000年に入り、インターネットが始まり、海洋磯釣倶楽部のホームページを2005年よりスタートしました。夫婦で試行錯誤しながら今日まで続いていますが、これも印刷情報高校を卒業し、㈱吉田印刷所に勤めたからこそ、この文化が続けられているのだと想います。それに情報発信する魚釣り文化のベースである、釣りの原稿を書くことを覚えたことで、よりスピード感が増し、今に続いているのです。
おかげさまで私が発信した釣り情報は、九州の釣り雑誌社、月刊
釣ファン社とは35年間お世話になりました。又、月刊 釣紀行さんは12年間。月刊
釣春秋さんは11年。月刊 釣恋人さんは不定期のお付き合いがありました。又、全国誌の週刊 釣りサンデー編集長、小西和人さんとのお付き合いは20年以上、不定期のお付き合いとか別冊シリーズのキスとかカレイの取材に応じました。関西の月刊 釣りの友社さんは6年間の定期がありました。又、月刊
潮目の編集長 大森さんは、㈱オーナーばり、中道弘蔵さんとの繋がりで、不定期で15年ぐらいお世話になりました。他にも、月刊 釣り情報さんとか、現在の週刊つり太郎さんは昔、㈱オリムピック、テスター会で㈱釣研、田中釣心さんと一緒に津久見蒲戸の磯や蒲江の磯で知り合えたことで、今でも不定期でお世話になっています。
そして、全九州釣ライター協会、会員という肩書で、読売新聞や西日本新聞、西日本スポーツ新聞、九州スポーツ新聞に私の釣行記が記載され、もう30年以上になります。又、毎日新聞西部版、釣り欄は18年勤めました。スポーツニッポン新聞の高橋編集長さんとは、私が22歳のころから可愛がってくれた方で、九州磯釣連盟初代会長の都留正義さんとの関係を、より深くしてくれた方です。そして昭和62年創刊した週刊つりニュース西部版とはスタート版からの長―ィお付き合いを、夫婦でお世話になっています。
そのような釣り情報・発信を趣味としてPRしながら、釣りクラブとか釣り団体、釣り組織の一員としてアピールしていますが、全てが「九州釣り文化」の想いがここにあります。
情報発信する最初のステージは手書き文章でしたが、それがワープロになり、パソコンとなって、今はインターネットからホームページとなり、より分かりやすいカラフルな写真、動画、地図入り文章となりました。それ等が全て自己管理でき、自作自演しているのですから凄いと想うのですよね。1980年、私が30才、こんな時代がくるとは想いもよらないことを今、現実に時代の流れに乗り、なんとか食いついていることが、すごーィと想うのです。
「ワープロからパソコン、インターネットにつづく私の遊び心」は、私が積み重ねた「証」を証明するものですが、同時に、これからの未来を、若者に託すハートでもあります。
苦労したことも、たくさんありましたが、仲間や夫婦で乗り越えたステージが、数限りなくありました。お魚釣りは趣味であり、楽しいゲームが、てんこ盛りにあることを紹介し、若者も、次世代の釣り文化とか情報発信するコミュニケーション文化を、もっともっと進化させてほしい、それが願いです。
4年前の平成24年9月、長崎県大村市に住む洋子ちゃんのお母さんが緊急入院し、大手術しました。無事成功して40日間、大村病院に入院しました。ちょうど私が定年となったばかりでしたから、大村市に40日間、お母さんの看病で夫婦で住み込みました。そのとき大村市内から諫早市、西海市などを、魚釣りとか観光散策しました。
そのことをJR大村駅にあるFM大村ラジオ局に、お手紙とかメッセージを毎日のように持って行き、地域・情報PRしました。奇麗な女性DJさん二人と、釣り好きの兄さんがDJしていましたので、私の釣り情報等は人気でした。ただし、大村市圏内12万人のFM大村局でしたので、福岡、北九州方面の釣り仲間とか親戚の方には届きませんでした。それでも原稿を書く以外の遊び心の一つの手段として「読んでくれたら嬉しいなァ」とか、そのメッセージ、手紙の内容からDJのコメントがたくさん付け加えられて「お便り発信して良かった?」という気持ちになりましたね。
洋子ちゃんの、お母さんが入院している大村病院に毎日訪問し「昨日は、あそこに行ったよ!!」「あそこで釣ったよ!!」などの、たくさんの出来事、コミュニケーションが、たくさんでき、お母さんが日増しに元気にり、40日後、元気で退院できた、ことに繋がったのです。
そんなFMラジオ局との繋がり、メッセージ、お手紙の、やり取りが行橋市、隣りの築上町のスターコーンFMラジオ局、DJ石川美和さん、三善由加里さんと、やり取りしているのですよ。独身の彼女達とのコミュニティーと、社長の福田みどりさん、ともお付き合いでき、野球のチケットとか、T・ジョイ映画チケットが頂けたなどあります。
そして全国67ヶ所ある地域のFMラジオ局を統括する東京FM局のミュージックバード「上原喜光の、ぐるっと360度」番組の中で、私のメッセージが読まれたり、電話で出演できたり、上原喜光さんのサイン色紙とかオミヤゲなど頂いて、それはそれで結構面白いラジオ局とのお付き合いがありますね。
手書き文章から始めた原稿書きが、声でメッセージが送れるなど、考えられないこの頃です。そういえば私、昔「大ちゃんの釣に行こう」のテレビ出演が三度あります。他にRKBとかKBCテレビに出演したこともあります。みんな釣り番組ですけどね。
いろいろ自慢話しを書きましたが、アクションが求められた若いときの良き時代です。皆さん「時」を大切に使って下さいね。
ラジオネーム 大和。ペンネームは大和三郎丸です。
小さな小さなガーデニング広場でお食事会できますね、遊びに来ませんか。
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2016.5.長崎県対馬市、釣り旅行 |