「機関誌 海洋だより」に記載した稿を再編集して紹介しています |
ワープロからパソコン、インターネットへつづく私の遊び心 (2)
大和三郎丸(上瀧勇哲)
私が、昔のことを掘り起こして書きとめている稿は、時代という流れの中で、たくさんの人々がそれぞれの想いで生き、社会の中で駆け巡った、貢献したことを、私と重ね合わせて紹介しているものです。
一人では何にもできないことを、たくさんの人々が、それぞれに自己の仕事を一生懸命努力され、ヤリ抜き私達の為、社会の為に貢献できていることが、一人、ひとりの人間の生きるパワーなのでしょうか。その上で、人々の想いが重ね合い、私達は平和な社会で幸な生活ができていますね。
楽しい、ゆかいな人生を一歩ずつ、積み重ねていることを、この機関誌でアピールしていますが、同様な文章もホームページに記載紹介し、多くの人々にちょっとだけ関心を持ってもらい「少しでもお役にたてること!! 読んで得したこと!!」を感じてもらいながら、次のステップを歩んでいるのが私です。
前回は若かりし私の生いたちを重ね合した、近代印刷文化の、文字を扱うプロセスをちょっとだけ紹介してみましたが、印刷所勤めの私が、文字を好きになったのは三郎丸小学校4、5年生ごろですかね、国語の授業で下田先生が私の作文を凄く誉めてくれたことがきっかけです。
理科とか算数は苦手でしたが、社会とか国語は大好きで成績はまずまずでした? やはり、なんでも好きになることで、その分野にハマり込むのでしょうかね。そのきっかけをくれたのが先生とか先輩、師匠と呼ばれる上司なんですね。
私は良い先生に恵まれました。小学6年の樋口先生は女生徒に大モテでしたが、男子からも凄く好かれた独身のカッコイイ先生でした。その先生から授業はもちろん、生活から金銭までサポートしてもらったことを子供ながら覚えています。中学に入っても佐竹先生、吉本先生、佐々木先生は、ともに独身で、それぞれの分野で「上瀧、上瀧」と可愛がってもらった?と想っています。そして高専の金丸先生が、我が家そばに住んでいる事を後日知り、私が今している事を凄くホメてくれますから、すごーく「先生」という言葉は大好きなんです。
ちなみに、実家(当時、小倉北区三郎丸)の隣家が校長先生とか、学校の先生が入れ代わり入ってくる借家でしたから、すごーく良い想いをしたことがあります。ですから、自分の子供は「学校の先生になってほしかった!!」そんな想いでおりましたが、とうとうその夢は果たせませんでした。
文字を扱う仕事を40数年、今だに続けていますが、その基礎となる技術を教えてくれたのが魚釣りの先輩であり、上司です。
私のお魚釣り人生のベースは吉田印刷磯釣クラブの先輩20数名ですが、今だ現役で仕事をしている先輩、釣り仲間が五人居ます。昔を懐かしみながら時々の交流を図っています。その会社を経営していた吉田正人社長は二代目ですが、現在は三代目がしっかり後を継いでいらっしゃいます。
三月に入って二十数年ぶりに吉田印刷株式会社に、妻と会社訪問をしました。本誌と別冊の釣り資料を添えて、今、私がしていることをPRする為に訪問したのですが、三代目は居なくて奥さまが応対してくれました。優しそうな奥さまとは初めてお会いする方ですが、しばし懇談して、昔話を少々いたしました。その上で先代の社長がお元気でいらっしゃることを聞いて安堵しながら、ちょっとだけ吉田家のことを聞いてみました。
初代の吉田正造様は芦屋町から若松にやって来て印刷業を始めたそうです。その吉田家は吉田磯吉 代議士(国会議員)の親戚である事、今、副総理で大活躍されている麻生太郎さんと吉田印刷所との繋がりは、遠い以前からの政治交流があり、企業、会社との連携など、行政ぐるみの繋がりが、昔からあったような事でしょうか。
北九州市「若松文化」を語るとき、必ず出てくる芥川賞作家、火野葦平さんの代表作「花と竜」には、吉田磯吉 親分が登場しますが、若松港とか洞海湾を取り仕切る?客の存在です。そして筑豊炭鉱との関わりからくる九州最大の麻生炭鉱や、その企業で成功した佐藤慶太郎さんなど、日本国を繁栄させた大きな原動力を、この地域より発展させました。その上で、この地をリードした吉田 茂 元首相や吉田磯吉 親分(国会議員)は八幡製鉄所(新日鉄)を公営として開設させ、取りまとめた地域のオピニオンリーダーでもありました。
その当時の日本国に於いて侠客というパワーのある方が、政治を強固な形にしていたようで、小泉又次郎(前 小泉総理の祖父)さんも関東の大親分でした。又、麻生太吉(現 麻生太郎さんの祖父)さんも同郷の地からパワーを身に付けた方です。
お話しがとてつもないところに進んでいますが、少し戻します。北九州市若松の文郷作家、火野葦平さん(本名は玉井勝則さん)は、玉井金五郎さんの長男です。玉井金五郎さん、のちに若松市議会議員となり、国会議員の吉田磯吉さんと繋がる訳で、次男の玉井政雄さん(作家)は頻繁に吉田印刷所に来て、書本などたくさん注文された方です。ちなみに、その孫にあたる玉井行人さんは現在、西日本新聞、北九州総局副代表でご活躍されています。又、九州釣界に貢献されている長谷部浩一さんも、そのご親戚にあたります。
北九州若松文化を語るとき、これ等の人々がたくさん出てきて、昔の繁栄を親しんでいるのですが、その時代背景に吉田印刷株式会社があり、その従業員として働いていた私、そしてお魚釣り文化で知り合った若松の人々がそれぞれに、これらの人々との交流を持ち、更なる未来を駆け巡ります。この事を紹介できる私は、すごく幸福なんですね。
つづく
PS 本稿はホームページ「シニア夫婦のライフレター」2013版及び「サーフメイズ
JAPAN」「機関誌 シニア夫婦のライフレター」でも紹介しています。